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煩悩即菩提

煩悩即菩提という言葉がありますが、日本の仏教は、よく途中を省略するので、話がこんがらんがります。

私の理解するところでは、煩悩から苦しみが生じる。苦しみが生じると、人生がいやになる。人生がいやになると解脱を求める。結果、いつか解脱する。だから、煩悩は解脱の第一の原因のように見える。といったところでしょう。

でも、通常は、煩悩から生じる苦しみは、又、別の煩悩でなんとかしようとするのが、人間のサガで、とことん、煩悩を追及した後でないと、そう簡単にベクトルは変わらない。とりえあず、苦しみからは逃げたいけど、逃げたいということ自体が煩悩ですね。じゃあ苦しみに立ち向かうのが良いのかというと、それは、よほど勇気のある人でないと難しい。困難に立ち向かえる人はいるでしょう。その先には、達成があり、喜びがあると、予想できるから。でも、純粋な苦しみって結構手強い。何の保証も希望もないから。ここにおいて自力が放棄される。

巨大な苦しみという壁は、いつか人間のベクトルを完全に変えて、ひっくり返す。そこまで行って、始めて、煩悩即菩提と言えるかもと思います。

これで済んでしまえば、話は簡単だったんですが、ところが、ここで、また、話がややこしくなる。悟りの立場から見ると、煩悩も悟りも区別がないと、などと言い始める。

実は、仏教は二重の基準をもっています。ダブル・スタンダードです。これって、芦屋憲法論みたでカッコいいかも。でも、仏教の方が大分早いですが。世俗諦と勝義諦です。この辺のことを言い始めると、何でも言える世界になって、言葉だけが、虚しく空中を飛び交うことになります。レ・ミゼラブル ああ無情です。

ということで、煩悩即菩提は、なんとなく、自分の弱さを取り繕う言いわけ、みたいなところがあって、真に苦悩している人以外には言えない言葉かなと思います。。


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